フードテックとSDGsと私

3NASび版SDGs

まず、私が目指すものの根幹にあるのがこの2つ

飢餓をゼロに
全ての人に健康と福祉を

人間誰しもお腹が空いてては活動できないし、健康でなければ本当の意味で「幸せ」とは言えないと思う。
現代の日本において飢餓に陥るほどの貧困はないのかもしれないけど、相対的貧困が問題になっている社会において、食にも貧富の差が出るのは当然のこと。
お金持ちは体に良い食材や厳選された食材を丁寧に調理したものを時間をかけて食べることができるのに対し、可処分時間いっぱい労働に費やしながらも低所得の人は、安価な加工食品やジャンクフードなどを隙間時間に腹に詰め込む。
世界を見渡したら「食べれるだけまし」と思うかもしれない。
けれど、本当にそうだろうか。
食の貧しさは心の貧しさにつながるのではないかと…

何を食べるかは、どう生きるか
食のこだわりは生きるこだわり

私のモットーである。自分に対してはもちろんだけど、他人を見る時の基準のひとつにもなっている。
食に何のこだわりもない人は生き方にもポリシーがないように感じるし、食が極端に偏っている人は仕事の仕方や生活が偏ってることが多いし、逆に食に丁寧な人は日々の暮らしや他者に対して丁寧であると思う。
食というものは人が生きるうえで必要不可欠なものでありながら、無限に豊かさを追求できるものである。
それだけにそこに「人間性」が出ると思う。
何を食べるか…単に食材や料理そのものの良し悪しだけじゃなくて、季節感(旬)・文化・栄養バランス・食材への向き合い方・食事のシチュエーションなど様々な要素がある。

私が「3NASび」で提供したい食は…
①旬の食材を用いたもの
②行事や季節など文化を感じられるもの
③個々の心身のニーズに合った栄養バランスのとれたもの
④食材のロスのない仕入れと調理法
⑤「命をいただく」ことに感謝できる環境
⑥食を豊かにするためのコミュニケーション
⑦偏った環境の中でも潤いのある食事
である。

旬の食材を用いたもの
野菜や魚にはもちろんのこと、多くの食材に旬があるはずなのに、小売店には年がら年中あらゆる食材がそろえられ、常にほぼ一定の価格で売られている。その結果、その食材がいつ美味しくて栄養価が高まるのかなどを知る人が減り、本来収穫期でないものを欲しがる人が増えることで、自然の形態を壊すことが懸念されるから。そもそも旬のものは味もよく、不思議と身体にとって薬効があるものが多い。

行事や季節など文化を感じられるもの
日本の「節句料理」というものをはじめ、海外の行事も併せたら様々な「行事食」がある。旬の食材を用いるほか、盛り付けなどでも季節を感じるような演出をしたり、料理とともに、その料理が発祥したルーツなどを併せることで、よりその「食」が浸透するように。

個々の心身のニーズに合った栄養バランスのとれたもの
肥満・高血圧・栄養不足(ビタミン・ミネラルなどの過不足)・菜食主義・アレルギーなど、個々の体質や宗教や嗜好などによって、ますます多様化している。個人に合わせた食事とその情報(原材料や調理法など)を併せて提供していく。

食材のロスのない仕入れと調理法
過剰在庫を抱えたりすることのない受注システムを導入すること。また、ひとつひとつの食材と丁寧に向き合い、よりありがたくいただく気持ちを普及していく。

「命をいただく」ことに感謝できる環境
「いただきます」「ごちそうさま」など、食に対する感謝ができる環境や教育を広めていく。

食を豊かにするためのコミュニケーション
同じ料理を食べるにしても、「誰と」「どこで」「どんなふうに」食べるかで全然違ったものになってくる。
例えば同じコロッケでも、スーパーでパックに入って売ってるのを買うのと、お総菜屋さんで元気なおばちゃんから揚げたてのものを渡されるのと、レストランで制服をきちっと着たウエイターさんからかしこまって提供されるのでは全く異なってくる。
「この店で」「この人から」となるような、信頼関係を築けるコミュニケーションを。


偏った環境の中でも潤いのある食事
買い物が困難な場所に住む高齢者や共働き家庭の子どもだけの食卓、隙間時間のもぐもぐタイムなど、『食』がしあわせな環境にない人にもわずかでも幸せを感じられるような食事を提供していく。
例えば、山奥に住む高齢者に新鮮なお刺身を届けたり、子どもだけでレンチンのお弁当を食べてる家庭にはあったかな定食とそれを仲間で食べられる場所を併せて提供するなど。

これらを実現しようと思ったら、テクノロジーの力が必要となってくる。
・在庫管理
・受注システム
・宣伝や集客
・情報提供
・顧客管理
などなど。

現代では目まぐるしく新しい情報やサービスが生まれている。
その中でどれが本当に有益で必要なものかを精査しなくてはいけない。

さぁ!やるぞ!(続)