自分の本当にやりたいこと
本当になりたい自分とは。
母の死よりもずっと前から感じてたこと。転々転職と子育てをしている中で、日に日に強くなる将来への不安。
単純に経済面のことだけではなくて、例えば明日自分の人生が終わるとしてみて『私、後悔しないかなぁ…』って考えたら、子育てが途中なことに対する心配が一番で、その次に『結局自分のやりたいことで何も結果出してないよなぁ…っていうか、やりたいことすら見つけられてないよなぁ…』って。
このまま何者にもなれずに一生が終わるかもしれない不安
まずは子育ても含め、自分の『やりたいこと』について考えた。
やりたいこと
☟
好きなこと《情熱》
×
得意なこと《才能》
×
大事なこと《価値観》
この本を読んで、どうして自分の不安が解消されなかったのかがよく分かった。
私は『やりたいこと』を『なりたいもの(職業名)』で考えてた。
これじゃあ自分が選んだ仕事に不満や不安をもったり、楽しくなくて続けられなくても仕方ない。
例えば、野球をプレーするのが好きな人が『野球関係の仕事を』とスポーツライターになったとして、取材活動や文章を書くのが苦手だったら、この仕事は苦痛でしかない。『好きな野球を趣味でプレーする』と、休みの日に少年野球のコーチで子どもたちと野球をしたら、きっと自分が満足できるだけでなく、子ども達やその保護者から感謝され、そのことで気持ちが充実して、収入のための仕事を頑張る活力になるかもしれない。
今まではそういう考え方ができなかったから、闇雲に好きなこと関連の仕事に就こうとしていた(その結果の転々転職)。
自己中心的利他
自分のやりたいことをした結果が、人の役に立つ。
そのことが収入につながる(収入とは誰かの満足感の対価だから)。
ここで肝心なのが『やりたいこと』の柱の中に『大事なこと《価値観》』があること。
私にはずっとこれが抜けていた(もしくはこれが後付けになってた)。
きちんと理論立てて導いた結果の『やりたいこと』は、きっと続けること・極めることで誰かの役に立ち、誰かをしあわせにできると思う。
だから、私の今の『やりたいこと』は【『食』で世界をしあわせに】。
パッと見は漠然としていて
ってかんじかもだけど、ゴールさえ定まっていれば、実現するための手段・方法なんか山ほどあるし、たとえそのうちのひとつがダメだったとしても決して失敗ではなく、成功のための実験結果なのだから。
起業という選択肢は雇われていることで少なくなっている可動域をフルで動かせる状態にするための手段。今すぐ急には無理でも徐々に確実に必ず可動域を増やすぞ!
さぁ!やるぞ!