自分の評価と他人の評価
物心ついてからずっと心にモヤッとしたものがある。
それは普段は影を潜めてるけど、あるきっかけで心の中に、胸の奥に、脳の片隅に、薄暗く現れることもあれば、どんよりとのしかかってくることもある。
あるきっかけとは「成果を出した時」
その結果「褒められないことへの不満」が生まれる。
良い成績を収めようが、賞を取ろうが、正しい行動をしようが、不思議なもので、なぜかおもしろいくらいに私は褒められないのだ。
できて当たり前
幼いころからずっとそうだった。
一番最初はやはり母。
私がいくらテストで100点取ろうとも、通信簿でオール「よい」(良い・普通・努力しましょうの3段階の相対評価)を取ろうが、決まりを守って正しく行動しようが、他人に親切にしようが、常に評価は「当たり前」。
逆にたまに98点の時は「どうしてちゃんとしないの?」となる。
3姉妹でもなぜか私だけがこの評価。
妹たちに対しては苦手を許容しながら、得意を評価してるのに。(○○ちゃんは算数苦手だけど、絵を描くのは上手だね。みたいな)
他の子たちが褒められるのを見ると、当然自分も同じようになりたいと思って、さらに頑張ってみるも褒められず。
逆に普段とのギャップがないせいかも(普段悪い子がたまに良いことをしたらものすごく褒められる的な)と、あえて悪い方に振ってみたりしても効果なく叱られるだけ。
常に目の前にあり続ける「できて当たり前」の壁。
それは母に始まり、家族、先生、友人、同僚、先輩後輩、上司、組織…何十にも壁が立ちはだかる。
とはいえ、私ももう40半ばで、さすがに原因はわかってる。
多分性格が悪い
と言っても、意地悪とかそういうことではない。
かなりの負けず嫌いと、新しいもの好きが交差して、何か新しい物事を始めた時に、スタートからトップスピード全開で取り組んでしまうのだ。
その結果、何を始めてもしょっぱなから「できる」を叩き出してしまう。
しかも、わりと格好つけのとこもあって、頑張ってる姿を見せないようにしてしまう。
そんなこんなで「できて当たり前」が出来上がってしまう(T_T) チーン
わかっていてもせずにいられない性格なのだ。
そんなこんなわかっていても、やはり「評価されること(褒められること)」を諦めきれないのだ。
今現在も同じ悩みを抱える
この度、働いている不動産屋さんで、繁忙期後の大幅な人員の配置転換が行われた。
それぞれに賃貸営業から分岐して(そこまで身体営業の人員が必要でないので)、「オーナー向け営業」「法人向け営業」「生活保護・高齢者向け事業展開」「ウェブ強化」「売買強化」などなどの新しい業務に配置換えされた。
そんな中、私一人だけ「現状維持」。
配置転換発表の際、「適材適所で、個々の能力を活かせる配置を…」と。
ってことは、私はほかにできることがないって(評価)こと?
もしも、私に対する評価が「賃貸営業が最適」ってことなら、そう言ってほしいんだけど、私に関しては何のアクションもなく単なる現状維持。
「よい」なら「よい」
「悪い」なら「悪い」
ちゃんと言ってほしいと思う。
この度の繁忙期の成約件数も、次点とダブルスコアなのにもかかわらず、なにもない。
(入社半年にもならないので、ベアや賞与やインセンティブがないのは仕方ないにせよ、誉め言葉のひとつもないなんて、あんまりすぎる気がする)
そうはいっても、何よりもいやなのは「他人の評価を気にする自分」。
まだまだ自分がしていることに自信がない現れなのかな…と。
プラス「他人に評価されない自分」になるしかないのかな…と。
私自身、誰かの評価ばかり気にしての「それなりの努力」しかできてなかったのかなぁ…とも思う。
もしかしたら「誰も評価のしようがないくらいの圧倒的な努力と結果」があれば代わりのかなぁ…とも思う。
なんにせよモヤってる時間があるなら、もっとぶっちぎれ!ってことなのかも。
(完全に今回の投稿は愚痴だけで、よくないな(-_-;))
とりあえず一杯飲んで心身消毒して、自分がやりたいことをぶっちぎるぞ(≧▽≦)