前回に続き、あと2つおすすめの説話を紹介したい。
追い詰められたユダヤ人の奇策
中世のヨーロッパでは、差別されたユダヤ人が領主から何かにつけて難癖をつけられたり、無実の罪を着せられ、処刑されることが多くあった。
あるユダヤ人が無実の罪で捕まり、裁判官でもある領主からこう言われた。
「お前のユダヤの神は、よほどえらい神だというではないか。ここに封筒が二つある。中には紙が入っており、一つには『無罪放免』、もう一つには『死刑』と書いてある。さあ、お前の神が奇跡を起こしてくれるのを見たいものだ。どちらかを選んで取れ。そこに書かれている言葉に私は従うことにしよう」
追い詰められたユダヤ人は必死で考えた。
「何としてでも生き抜くぞ。この領主は私を死刑にするために、両方の封筒に『死刑』と書いているに違いない。ならば……」
ユダヤ人はそう判断して、いきなり奇策に打って出た。一つの封筒を取るや、ぐしゃぐしゃにその封筒を丸めると、なんと口の中に放り込んで「ゴクン」と飲み込んでしまったのだ。そして領主に向かってこう言い放った。
「領主様、私が選んだ封筒の中に書いてあることは、ここに残っている封筒の中身と反対のことのはずです。残っている封筒に書かれてある言葉が『死刑』ならば、私は無実です。ですので領主様、残っている封筒に書いてある言葉を声に出してお読みください」
ユダヤ人の読み通り、封筒には両方とも『死刑』と書かれていた。こうしてユダヤ人は生き残ることができた。
あるユダヤ人が無実の罪で捕まり、裁判官でもある領主からこう言われた。
「お前のユダヤの神は、よほどえらい神だというではないか。ここに封筒が二つある。中には紙が入っており、一つには『無罪放免』、もう一つには『死刑』と書いてある。さあ、お前の神が奇跡を起こしてくれるのを見たいものだ。どちらかを選んで取れ。そこに書かれている言葉に私は従うことにしよう」
追い詰められたユダヤ人は必死で考えた。
「何としてでも生き抜くぞ。この領主は私を死刑にするために、両方の封筒に『死刑』と書いているに違いない。ならば……」
ユダヤ人はそう判断して、いきなり奇策に打って出た。一つの封筒を取るや、ぐしゃぐしゃにその封筒を丸めると、なんと口の中に放り込んで「ゴクン」と飲み込んでしまったのだ。そして領主に向かってこう言い放った。
「領主様、私が選んだ封筒の中に書いてあることは、ここに残っている封筒の中身と反対のことのはずです。残っている封筒に書かれてある言葉が『死刑』ならば、私は無実です。ですので領主様、残っている封筒に書いてある言葉を声に出してお読みください」
ユダヤ人の読み通り、封筒には両方とも『死刑』と書かれていた。こうしてユダヤ人は生き残ることができた。
にしかわち。
この話の第一印象は「おもしろい!」だった。
どんな状況においても諦めずに生き抜く可能性を必死で模索することの重要さを、若干の笑いを交えて伝えているのだ。
そして自分に置き換えて考えてみた。
日本人は潔さを美徳とし、何事においても諦めがちである。
現状に不平不満があっても愚痴や文句を言う程度で、状況を変えようと必死に考えたり行動したりしない。
納得いかない状況下にありながらも我慢と諦めでそこから動こうとせず、誰かの何かのせいにしながらゆっくり死刑を待ってるのだ。
現在、私自身は「このままでいいのか?」もやもやと思い、少しアクションし始めたとこだけど、やはり何かを変えたいなら必死で考えて行動するべし!と確信した。
村人の三つの願い
ある村に貧しいけれど敬虔で慎ましやかに暮らしている夫婦がいた。その夫婦の元に、預言者エリジャが貧しい身なりで現れた。エリジャが一杯の水を乞うたところ、その夫婦は、「さぞかしお困りでしょう。お茶と一緒にパンをぜひ食べていってください。よければ今夜の夕食もいかがですか」と、家に招き入れた。そして夕食には、可能な限りの料理を作ってエリジャをもてなした。
夕食の席で、預言者エリジャは、その村人夫婦に「お礼として、三つの願いを叶えましょう」と言った。
夫婦は喜んで「家があまりにも狭く小さいので、できれば大きい家に住みたいです。また、服装もあまりに貧しいので立派な服が着たいです。それに、貧乏で暮らしが大変なので金貨も欲しいです」と言った。
翌日、夫婦が目を覚ましてみると、自分たちの住んでいる家は、みすぼらしい小屋から、広々とした庭に囲まれた大邸宅に変わっていた。着ている服はすべて豪華な衣服に、そしてあり余る金貨が机の上に置かれていた。エリジャの姿は消えていた。
三年後、預言者エリジャはまたその村に戻ってきた。今度も非常に貧しい姿だった。そして、あの村人夫婦を訪ねると、家には高い塀が張り巡らされて、門番が番犬を連れていた。エリジャが「一杯の水をください」と言うと、この門番は「お前のような者にやる水はない」と言って、犬をけしかけようとした。
犬の吠える声を聞いて出てきた家の主人は、エリジャの貧しい姿を一目見ると、「さっさと立ち去るがよい」と言って、くるりと背を向けて、家の中に入ってしまった。
エリジャは、「金持ちになると、貧しい者への配慮をすっかり忘れてしまった。貧しいときには優しい心を持っていたのに、何ということか」と言うやいなや、一度は叶えた望み三つをすべて取り上げてしまった。
よく朝起きると、村人夫婦は、また小さな小屋に、ボロ着をまとって、金貨一枚もない生活に戻ってしまった。その後も夫婦は生涯貧しいままだった。
夕食の席で、預言者エリジャは、その村人夫婦に「お礼として、三つの願いを叶えましょう」と言った。
夫婦は喜んで「家があまりにも狭く小さいので、できれば大きい家に住みたいです。また、服装もあまりに貧しいので立派な服が着たいです。それに、貧乏で暮らしが大変なので金貨も欲しいです」と言った。
翌日、夫婦が目を覚ましてみると、自分たちの住んでいる家は、みすぼらしい小屋から、広々とした庭に囲まれた大邸宅に変わっていた。着ている服はすべて豪華な衣服に、そしてあり余る金貨が机の上に置かれていた。エリジャの姿は消えていた。
三年後、預言者エリジャはまたその村に戻ってきた。今度も非常に貧しい姿だった。そして、あの村人夫婦を訪ねると、家には高い塀が張り巡らされて、門番が番犬を連れていた。エリジャが「一杯の水をください」と言うと、この門番は「お前のような者にやる水はない」と言って、犬をけしかけようとした。
犬の吠える声を聞いて出てきた家の主人は、エリジャの貧しい姿を一目見ると、「さっさと立ち去るがよい」と言って、くるりと背を向けて、家の中に入ってしまった。
エリジャは、「金持ちになると、貧しい者への配慮をすっかり忘れてしまった。貧しいときには優しい心を持っていたのに、何ということか」と言うやいなや、一度は叶えた望み三つをすべて取り上げてしまった。
よく朝起きると、村人夫婦は、また小さな小屋に、ボロ着をまとって、金貨一枚もない生活に戻ってしまった。その後も夫婦は生涯貧しいままだった。
にしかわち。
怖っ(;゚Д゚)!!
なぜか富を得るとかえって強欲になる人か少なくないように思う。
得たものを失わないように分け与えることをせず、むしろもっと得たいと欲を出し、感謝を忘れ、助け合いの気持ちを忘れていく。
それが巡りめぐって自分を不幸にするということにつながることを示した話。
これから自分が物理的・金銭的に豊かに慣れたとしたときにこそ、決して驕らず、感謝や助け合いの気持ちを持ち続けなければいけないと思った。
まだまだ多くの説話とそれ知恵や考え方が書かれているが、今回はここまで。
注意したいのは、本書ではユダヤ人の思考の礎となっている「タルムード」の説話やそれに込められたメッセージは様々なシーンで参考になるものも多いが、あくまでどう解釈し、何を参考にするかは自分自身ということ。
そして本書では、著者によりユダヤ人以外(特に日本人)を蔑んだり貶めたりする記述が多いので、それに惑わされてはいけないということ。
私的には「ビジネス」「子育て」「人生観」の面では参考になったように思う。
読書には最高の学びがある。
読書には最高の学びがある。
さぁ!やるぞ!!