ゴミ屋敷のワケ③

きっと母は『負のループ』に陥ってた気がする。
元々、自分以外の人間に本心で関わることができてなかったように思う。
常に誰かとかかわる時、その場にいない人のことを悪口を言ったり非難することが多かった。かと言ってその人を遠ざけるのではなく、悪口を言ってた相手とも交流を持ち、また別の人の非難をするのだ。
常に自分が優位になれる状態をつくろうとする。
高い評価をもらったり尊敬されたりすることを望む。
それが叶わない相手には、逆に自分の不幸アピールをして、自分がいかに同情すべき相手・優しく接するべき相手かを示す。
それを繰り返すとどんどん存在に矛盾が生まれるし、周りからの信用がなくなっていく。

部屋ひとつとっても、会社や公共の場では人一倍整理整頓に努め、綺麗好きの自分をつくる反面、プライベートな場所は不潔で雑多な状態(生前の状態がわからないので、この時点では『ゴミ屋敷』とは称さない)
ギャップがあるから誰一人として部屋に招くことができない⇄訪問者がいないから整えない
その結果できあがったのが『ゴミ屋敷』。

大事にしないのに捨てられない

根底にあるのはやっぱり『孤独感』なんだろうな。
でもそれって誰かが埋めてくれるわけじゃないと思う。
ほんの少しでも自分から関わろうとしない限りには、今ある溝は埋められない。
母だけじゃなくて、多くの高齢者の問題になると思う。
高齢者の老々介護や孤食・孤独死…
家族が同居してたり、近所にいるとかいう物理的なことでなく、必要としたときや定期的に自身が必要と思ってかかわることのできる何かがあることが重要だと思う。
私と母の場合なら、近所に住んでる・イベントには声をかけるをしていたが、母にとって大切なのは『週に一回美味しい牛乳を届けてくれるおねえちゃんとの他愛ないおしゃべり』なのかも。
いつも決まった日時に訪ねてくれて、気が向けばおしゃべりできるし向かなければそっとしておいてくれる。
そんな自然体でいられる関係。
色んな柵のあるものではなく、自分の意志で築いたり避けたりできる関係が必要で、それが『居場所』になると思う。

私は母はにそれをあげることはできなかった(というより、親子という関係だからこそ、できないことあると思う)。
だからこそ、多くの同じ悩みを抱える高齢者やその家族にできることがあると思うし、やっていきたいと思う。

この度の母の死。
私に色々なことを考えさせてくれた。
無駄にはしない!

さぁ!やるぞ!