おおよそ1カ月前、母の一周忌に納骨をしたのだが、それと共に祖父母のお墓も移管することにした。
移管自体は「もう少し暖かくなってからにしよう」ということで、先月は母の納骨のみを行い、移管の手続きなどは追い追いすることにしていたのだが…
本当に何事もすんなりいかないものだと(-_-;)
祖父母の墓の管理者が祖母のままだった。亡くなってから30年近く経つのに変更の手続きなど何もせずに、祖母の名前のまま毎年管理料を支払っていたのだ。
しかも、納骨をする際に霊園に預けているはずの埋葬許可証が、祖父母のどちらの分も霊園にないという。
母の納骨の際は、今回お願いした霊園の担当者の方が「お骨をお預かりするのと合わせて埋葬許可証も当方でお預かりして保管することになってます」と言っていたのだが…
昔は制度が違ったのか?
今の祖父母のお骨のある霊園の担当者は「提出されてない」と言ってたが…となると霊園に何も申し出ずにお骨を埋葬したということになるが、果たしてそんなことが可能なのだろうか?
霊園の方が「当方に埋葬許可証がないので、いくつお骨が入っているかが把握できてない」と言っていたのも不思議でならない。
とにかくひとつわかっているのは、何でもかんでもやりっぱなしの放ったらかしなのだということ。
相続や遺品整理の際に感じていたが、今回また改めて痛感した。
多分、祖母も母も全く悪気はないのだろう。というか、何も考えてなかったのだろう(失礼な言い方だが)。
特に「自分が死んだあと」のこと。
というより、「いつか自分が死ぬということ」。
大病を患ってもなお、その事に対峙できてなかったということ。
近頃、日に日に私が大事だと思う気持ちが大きくなっていることが「今を生きる」ということ。
「今死んでも大丈夫なように今を生きる」
今死んでも後悔がないように。
今死んでも恥ずかしくないように。
今死んでも後に残された人たちが困らないように。
遺伝だったり環境だったりの影響で、私自身もモノと増やしたり手放せなかったりしていたし、面倒くさいことを後回しにしてしまいがちだったり、自分だけがわかってる状況をつくってしまいがちだったりと、「今自分に何かあったら残された人たちが困る」状況をつくってしまっていた。
けれど、これではいけないと思うようになった。
特に子ども達の将来のことを考えると、自分が一緒に生きてしてあげられることと同じくらい、自分がいなくてもしてあげられることや遺せるものが大事なのだと。
今、私は自分の事業を始めるのに夢中なのだが、これも常に進行状況を家族と共有するようにしている。(特に契約関係は父っちゃさんにしっかり伝えておかないといけない)
もしもうまくいかなかった場合でも、家族が困るような状況にはならないようにと言うのが大前提。
事業を創りながら、私自身が困難や失敗を乗り越える過程を子ども達に見せながら一緒に学び成長していきたいし、そのうえで将来的に子ども達が進める道(選択肢)を増やしたり、道を進む時の支援ができるようになっていけたらと思う。
未だかつて死ななかった人間はいないし、自分も必ず死ぬ。(しかもいつ死ぬかはわからない)
その事をいつもちゃんと自分の横に置いといて、今を生きる。
大切な人たちと共に。大切な人たちと幸せになれるように。
…何だか色々考えてたら最後ポエムみたいになった…恥っ(*_*;