大切なのは争わないこと

特に強い思想があるわけでも、何か特別なことを主張したいということでもない。
けれど、ここ近年の「すべてを平等に」な感じの違和感が気持ち悪過ぎて(言葉が悪い(-_-;))、なんとなくボヤッキー。

つい最近、LGBTQに関する法案の成立に関する記事を読んだ。

違和感(-_-;)。

生まれ持ってきた性と自認する性が違っていたり自分の性が決められなかったり、それに依ってか依らずが好意を持つ相手の性がどうなのかは人それぞれで、総称してLGBTQとされているけれど。
LGBTQとされる人たちも、性自認×性的指向で数えきれないくらいの種類になるし(そもそも種類分けすることがナンセンス?)、性に関わらない志向も加えたら数限りない。

ジェンダー平等とがダイバーシティ(多様化)&インクルージョン(受容)の推進とか言われてるけど、当事者が本当に平等にしてほしいとか受容してほしいと思ってるか疑問だし、逆に平等にしたくない人や受容できない人の意見が攻撃される傾向にあるのもどうかと思う。(もちろん公人と呼ばれる人が公言するのは立場的に問題だけど)

そもそもすべてにおいて人間なんて一人ひとり違うわけで、外見(顔立ち・体型・人種など)・身体能力(体力・筋力・柔軟性・内臓機能など)・知能・性格・環境(家族構成・経済状況・教育・国籍や地域性など)などなどこと細かくジャンル別で分類分けしていったら、全人類マイノリティになりそう。

世界中みんながお互いを理解して受容して、差別なく平等に仲良しこよしで平和な世界。

理想はそうかもしれないけれど、無理じゃない?
現実問題、世界で戦争がなくなってないわけだし、「どっちも、自分が正しいと思ってるよ。戦争なんてそんなもんだよ」ってドラえもんも言ってるように、分かり合えないことなんてあって当たり前で。

無理に一緒にいようとして喧嘩(もしくは一方的に攻撃)するくらいなら、ゆる~く分断っていうか、それぞれが居心地いいコミュニティで暮らして、たまにほかのコミュニティをチラ見して「ふぅ~ん…そっちはそんな感じなのね~」くらいに認識してたらいいんじゃないかな?って思う。

分かり合えない同士をわざわざ仲良くさせようとするより、喧嘩にならない状況をつくった方がいいような…。
子ども達がお互いくっ付き合っては「あ~でもないこ~でもない」と文句を言い合って喧嘩しているのを見ていつも言ってるのが、「仲良くしなさいとは言わないけど、喧嘩はしないで(-_-;)。いやだと思うなら近づかなければいいし、やり返すんじゃなくて離れなさい」。

大切なのは、自分とは違う相手と「認め合う」こと以上に、自分と違いがあるからといって、それを理由に争わないってことなんじゃないかな。
全人類総マイノリティ。違ってて当たり前。