本当にいいモノなら…

先に。
これは特定の宗教や思想を否定するものではないことをあらかじめ。

12月に入ったということもあり、お店・家共々大掃除を本格化。

で、お店の外でメンテナンスや掃除、観葉植物のお手入れなどをしていると、結構な割合で話しかけてくる方がいる。
某宗教の布教活動をしている方なのだが…。

話しかけてくること自体は特に問題はないのだが(正直あまり気のいいものではないけど)、気になるのは毎回「はじめまして」な感じなこと。
もう何度も話してるし、しかもまずは世間話から始めるので毎回結構な時間話してる。
にもかかわらず、いつも初めて話しかけるような入り口&何度も同じ話材の世間話。

私からしたら、店外で話しかけられることが少ないので覚えているけれど、あちらは1日に何人何十人にも話しかけてるのか?一人一人を覚えてなんていられないのだろう。

どうしてそんなに顔も覚えられないほどの数の人に広めなければならないのか?
自分(達)だけが信じてるのではだめなのか?

これは宗教だけに限ったことではない。
飲食の仕事をしていると、やはり気になるのは「食」に関すること。

(アレルギーなどの事情がある場合を除いて)特定のもののみ食べたり、特定のものを食べなかったり、特定のものを推奨したりすることについて。
ベジタリアンやヴィーガンとか?グルテンフリー、オーガニックとか?
鯨食反対とか?昆虫食とか?ジビエ食とか?

もちろん宗教の戒律で定められてたりといった場合もあるだろうが、こと日本においては「健康志向」と「環境への配慮」がベースになってることが多いのではないか?と。

別に自身の生活において個人的にやってる分には全く問題ないのだけれど、中には布教活動の如くほかの人にまでそれを強く推奨する人がいるから厄介なのだ。

いろいろ悩んだり困ったり迷ったりする中で、いろいろ調べたり学んだりして、自分にとっての最適解に辿り着く。
その最適解によって得られた幸福のようなものによって、自分にとっての最適解が社会の正解のように感じて、それを周りにも教えよう・伝えよう・広めようとしてしまう。
そして、そういう人ほど自身が信じる物事を妄信しすぎて、あらゆる事柄に対して「正解」は自分の信じるものへと持っていくので、結果かなり不勉強な状態になってるように思う。

この世の中に「これさえあれば!」みたいな絶対的な正解なんてないはず。
もちろん「こうした方が良い」というものはあるけれど、それですら必ずしも正解とは限らない。

環境は破壊しない方が良いし、ほかの生き物の生命は奪わない方が良いし、農薬や化学肥料は使はない方が良いし、抗生物質は使わない方が良いし、遺伝子組み換えやゲノム編集なんてしない方が良いし、添加物は使わない方が良いなんてこと、みんなわかってる。
けど、そうしない・そうできないのにはいろんな理由があるからで。

あらゆる「こうした方が良い」と「こうできない」の間で最適解を探して、たくさんの人がたくさんの時間をかけて研究実験検証を繰り返しての今で。
これからもたくさんの人がたくさんの時間をかけて研究実験検証を繰り返して最適解は変わっていく。

自分が正解と思う物事が他の人にとっても正解とは限らないし、自分にとっても永久に正解とは限らない。

3NASびで提供しているゴハンだってそう。
たくさんの食材を使って栄養バランスよく、特にお魚とお野菜をふんだんに使っているから間違いなくカラダによさそうに思える。
大多数の人にとってはあながち間違いではないと思うけれど、そうでない人もいるわけで。
例えば(以前に店内ランチでご来店くださったお客様で)腎臓の機能がよくない場合などは、野菜や果物はカラダにとって害になるので、あまり召し上がっていただけなかった(T_T)(ちなみに、その方が食べられなかった分は、お連れの方が完食)。
たくさんの食材を使っているので、色々な味を味わえるし多種の栄養素を摂取できる反面、嫌いな食材が入っていると、ひとによっては食事を全開で楽しめなくなる可能性もあるわけで。

なので、自分が正解と思うことを信じつつも、頭や心の片隅に「けど、そうでないかもしれない」と、学ぶことを怠らず、自分が正解と思えない人の話にも耳を傾けることが大事なんだと思う。

本当にいいものなら、あれやこれやしなくても、ちゃん受け入れられ広まっていくんじゃないかな。

…(-_-;)アレ?

3NASび、なかなか広まらないな…まだまだ頑張りが足りないってことかな(^^;)?