結局、儲けたいだけでしょ?

えんさんの誕生日のごちそうが、前日になっても決まらない(@_@;)。

実はこないだまで、誕生日当日は(金曜日で、夕食後に習い事(キックボクシング)があるし、私はその送迎をしなければならないので)ケーキとプレゼントのみにして、ごちそうは翌日の土曜日(2/3節分)に手巻き寿司をしようという計画だったのだが…。

というのも、恵方巻を注文しない予定だったから。

今でこそ「節分といえば恵方巻」と当たり前のようになっているけれど、そもそも私が子どもの頃は恵方巻なんて風習はなく、「節分と言えばいわし」だった。
もともと関西地方特有の風習だった恵方巻を、2000年ごろ某コンビニ最大手が大々的に宣伝し全国販売すると、多くのスーパーやコンビニが追随、メディアにも取り上げられるようになって、あれよあれよという間に「節分といえば恵方巻」が定着した。
今となっては、スーパーやコンビニ以外にも、大手チェーンから個人店まであらゆる飲食店でも予約・販売しており、それは寿司屋や和食屋に限らず、外国料理の店やパン屋やはたまた菓子店までも…。
もはや何でもアリな世界(@_@;)。

その商業的な感じがどうにも馴染めないので、積極的に恵方巻を食べようとは思わないし、3NASびでも販売していない(やってできないことはないけど)。
とはいえ、子ども達にとっては「節分といえば恵方巻」が当たり前の文化になっているので、一応は…。
で、今年は「それぞれで恵方巻をつくって食べよう」と、手巻きずしをするつもりでいたのだけれど…。

父っちゃさんのつきあいで購入することになり…(いや、そこのお店のは抜群に美味しいんだけどね(^^;))。
寿司があるのに手巻き寿司するのも…ということで、一旦計画が白紙に。
で、未だに悩んでいるところ(@_@;)。

それにしても恵方巻、存在そのものがしっくりこない私なのだが、年々嫌悪感さえ感じるようになってきている。
なぜなら、恵方巻から立ちのぼる「儲けてやろう」臭がキツ過ぎるからだ。

恵方巻の食べ方としては、
・恵方を向いて食べる
・一人一本切らずに食べる(丸かぶり)
・(願い事をしながら)黙って食べる
となっている。

ということは、恵方巻が向かう方向としては、より食べやすいように短めの中巻きや細巻きで、具材は噛み切りやすいものになるはずなのだが、現実は真逆。
豪華な具材をこれでもか!ってほど盛り込んで、かなり巨大化していて、「こんなん1本丸まる食べるんは、どう考えても無理やろ~(;゚Д゚)!」な代物。
そしてもちろん高価格。

「求められるもの」ではなく「儲かるもの」「高く売れるもの」。
経済を活性化させるのにこの考え方は否定はしないけど、それにしてもあまりに露骨すぎるっていうかなんというか…。

私だったら、恵方巻は(切らなくて済むように)半切の海苔で、具材は玉子焼き・胡瓜・煮穴子・でんぶ等の噛み切りやすいもののみ(生魚入れるならマグロやサーモンのたたき)にして、「(茶わん蒸しとか鶏の唐揚げとか)恵方巻と併せて食べられる何か」をセットにするかなぁ~(´-`*)。

…。

…あっ(;゚Д゚)!
恵方巻のこと考えてる場合じゃなかった!
えんさんの誕生日のごちそう決めなくては(;’∀’)。