【思考法】是々非々という考え方

先日、メンタリストDaiGoのDラボというアプリのことを書いたのだが、そのDaiGoのYouTubeライブでの発言が炎上してる様子。

その発言の内容が、ホームレスや生活保護受給者の命を軽視するような差別的であるということ。
確かに記事を読む限り、かなり過激で危険な発言であるようには思った(実際にどんなニュアンスで話したのかが文字だけではわからないので、断定的な感想は言えないが…)。

しかしDaiGoの発言以上に私が危険に感じたのは、記事へ投稿されているコメントの数々。
そもそものアンチの意見はここぞとばかりに叩きまくる内容で、「まぁよくあるやつだな」って感じで特筆することもないのだけど、気になったのは「好きだったけど、今回のでキライになりました」「信じてたけどもうあり得ません」みたいな意見。
私的には恐怖しかない思考回路。
信者orアンチ。100かマイナスか。全許容か全否定。

何でこうなるのかなぁ…(*_*;
私には全然理解できない思考回路だ。
だって、めっちゃ尊敬する人にもダメなとこもあれば、その人が間違うこともある。
逆に生理的に受け付けないような人にもいいとこがあるし、いいアイデアをもらうこともある。
そもそも個別の人や団体や思想を120%信じるのも危険だし、更にその相手にひとつ間違いがあったからといって丸ごと全否定に掌返すのなんてヤバすぎる。

私は常に自分以外の人の発言や情報を聞く際に心がけている考え方がある。
「多分そうなのだと思う。けれど、そうじゃないかもしれない」
ずいぶん若いころの教えられた考え方で、ずっと頭の片隅に置き続けているもの。頭の中にあるのが当たり前すぎぎて、もはや誰に教えられた考え方だったかは覚えてないが。

だから妄信的に誰かを信じることはないし、逆に「この日との意見は聞かない」ということもない。
どんな意見や情報も、一旦耳に入れたうえで、頭の中で咀嚼して消化して、吸収するのか排泄するのか決めるのだ。

現在私がビジネスやアイデア・思考法などで参考になると思って情報収集に使っているツールが
●YouTube●
・日経テレ東大学
・両学長リベラルアーツ大学
・堀江貴文ホリエモン
・三崎優太青汁王子
・YusakuMaezawa【MZ】
・武井壮百獣の王国
●Voicy●
・ながら日経
・#西野さんの朝礼
・大河内薫マネリテ戦略室の表側
●Twitter●
・孫正義
・田村淳
・前澤友作
・河野太郎
・箕輪厚介
・前田裕二
・GACKT
・西野亮廣
・落合陽一
などなど。
あと、オンラインコミュニティ「リベシティ」(両学長の月額定額のオンラインサロン)。

世間では信者とアンチが多い人たち。
信者とアンチが多いということは、思考やアイデアが挑戦的だったり斬新すぎたり、表現の仕方が過激だったりエッジが効いていたり、そして圧倒的なパワーがあるのだ。
そんな人からは、いい意味でも悪い意味でも参考になることが多いのだ。

ただ私は「参考にする」が「信じる」ことはしない。
他人の意見や情報だけでなく、常識も歴史もデータも鵜吞みにしない。
常に個々の事項について、信じるかどうかはフラットな目線で判断していくのみ。

こうした考え方を「是々非々」というらしい。

これは生活するうえで最も有効な思考法だと思う。
なぜなら妄信により間違った選択もなければ、全否定による機会損失もないからだ。

そしてこの「是々非々」で判断するうえでもう一つ重要なのが「自己責任」。

「誰かを信じる」のは構わないが、その結果が悪かった時に責任を「誰か」のせいにする人が多いのはどうかと。
むしろ多くの人は自分が責任を負うのから逃れるために「誰かを信じる」選択をしてるのではとさえ思う。

自分で判断し、自分で責任を負う。

そうでなければ自分の人生など歩めるわけがない。
私は私の人生を!

さぁ!やるぞ!!