【人生観】将来の夢ってどうやって決めたっけ?

今週は天気のいい日が多かったので、かなりDIYが進んだ。
販売口の扉や出入口ドアなどがほぼ完成してきた。

販売口の扉は、表側は防水加工を施し、内側になる方は開いた時に看板としても使えるように黒板加工した。

出入口の扉も自分でイチからデザインした。
マナベインテリアハーツでちょうどいい感じの飾りがあったので、それをモチーフに使うことに。

飾りの大きさや厚さを考えてコンパネボードをカットする。

飾りは窓のように仕立てるため、透明のポリエチレンボードを貼り付ける(仮止め)。

飾りやボードや縁取りなど、全てをペイントして乾かす。

それら全てを合体させる。
強力ボンドで仮止めしてからねじ止めする。
溝などをコーキングして完成。

昨日、店舗機材搬入の際、テンポスの担当の方が「オープンはいつぐらいになりそうですか?」と聞いてきたので、「キッチンカーの製作も同時進行してるので、今のところまだちょっと…自分で作ってるので、なかなか思うように進んでなくて…」と話した。
すると「キッチンカーって自分で作れるもんなんですか?」「どうやって作るんですか?」と聞かれたので、フレームや建具などのDIYの様子の写真を見せた。
するとテンポスの人が「すげぇ〰〰〰Σ(・ω・ノ)ノ!プロじゃないですか!?ちょっと見てくださいよ」と、搬入の業者さんに声をかけた。
そして写真を見た業者さんが「いや、職人ですね。ドアの作り方なんかホントに職人ですよ。こういうの習ってたんですか?」と聞いてきたので、全くの独学の見よう見まねであることを言ったらさらに驚かれた。
「これで食っていけるレベルですよ。こっちをするのもありなんじゃないですか?」と。
お世辞も入っているとはいえ、そんな風に言ってもらえると悪い気はしない。

ここ最近完全に大工化している中で、自分自身こっちの道も向いてるんじゃないかな?と思っていた。
ただ、職人の世界はそんなに甘いものではないとわかってるし、他に進む道を決めて動いている今となっては、もう路線変更はないけど(今んとこ。いつ気が変わるかはわからない)。
自分に何が向いてるのかにいつ気づくかで、色んなことが変わってくる。

私はどうだっただろう。
今の道になるまでに生まれてから40年以上、社会に出てから20年以上費やしている。
その間に自分の好きなこと、自分に向いていることに気づいていなかっただろうか?

否。
ずっと気づいていた。

物心ついた時からものづくりが大好きだった。
絵を描くのが好きで、工作も好きで、手芸も好きで、料理も好きだった。
幼いころは漫画家やデザイナーを夢見たことがあったし、高校で進路を決める際には芸術学部に進みたいと思っていた。
でも結局は北九州市にある作業療法士になるための専門学校に進学し、そして中退した。
そこからしばらく人生を迷走することとなった。

どうしてやりたいことをする道に進まなかったのだろう?

答えは「道を知らなかったから」。
現在のようにインターネットの普及してない時代、学生が手に入れられる情報は限られている。
その上、親や学校からの刷り込みがあるので、初っ端から閉ざされてしまう道もある。
よくあるのは「成功できるのは選ばれたごく一部の人間なのだから、無謀なことはせず、安定した道を着実に歩きなさい」。
そして、自分の狭い世界で社会の「当たり前」という鎧をまとった大人が、「成功できるごく一部の人間になれるような特別なものは、あなたにはない」と、私にも鎧を着せるのだ。
他の世界を見たことのない私は、親や学校にとっての(もしかしたら日本という国にとっての)「当たり前」の中で道を選ぶこととなった。

幸か不幸か勉強の成績が良かったため、当然のように「進学」の道を選ぶようになった。
そこで親が出した条件が
・将来絶対に喰いっぱぐれがないような手に職をつけることができる分野(特に医療系が好ましい)
・学費などの必要なお金を自分で負担すること
・家を出る場合、2時間以内に帰ってこられる地域
だった。

最初の条件の時点で芸術系は消えた。喰いっぱぐれの可能性が大だからだ。
とはいえ、ものづくりができるジャンルがほかにないかと言えばそうでもない。今思えば建築系という道などもあったのにそれを選べなかったのは、「医療系が最適解」の洗脳があったからに他ならない。
事あるごとに「せっかく成績がいいんだから、医者か薬剤師になったら?」と言われていた。
それも悪くないと思うが、そこで足かせになってくるのが「お金の自己負担」。
医学部や薬学部に通える学費が自分で賄えるはずがないうえに、「両親が高収入の場合は奨学金も無理」と言われていたので(これも本当かどうかもわからない)、選択肢はさらに狭められる。
母は「防衛大学に行けば学費がかからないばかりか、お給料ももらえるから、そうすれば?」と、わりと本気で頓珍漢なことを言っていた。
学費目当て以外に何の志もない人間が、予備校にも行かずに独学で勉強して行けるほど簡単なものではないのに。
この時点で医学部・薬学部は消えた。
本当は高校から薬科大学への推薦の話もあったのだが、それが四国の私大だったためアウトだった。
医療系…看護師が向いてないことだけはよくわかっていたので、それ以外で模索。
そこで見つけたのが作業療法士。
いわゆる「リハビリの先生」なのだが、一般的に知られているリハビリは「理学療法士」で、「作業療法士」は「医師の指示のもと、障害のある方に手芸や工作等さまざまな活動を用いて、諸機能の回復・維持および開発を促す作業活動を通して治療、指導、援助を行う」のである。
ものづくりが好きな私にとってよさそうと感じ、更に北九州という近い場所にほぼ公立の学校(文部省管轄外の大学)があり、学費が格安(当時年間授業料が6万円)だったことで進路が決まった。

条件だけで決めて進んだ道は決して明るくなかった。
ものをつくる作業以外に興味が持てず、志ある級友と自分の意識にギャップを感じ、学費以外に掛かる資料や書籍を購入するためのお金や生活費を稼ぐために詰め込んでるバイトで疲れ、日に日に自分が何のためにこの学校に通っているのかわからなくなった。
そして入学から2年半(留年しているので実質1年半)で離脱してしまった。

どこで失敗してしまったのだろう。
進路を決める時のあの条件たちがよくなかったのだろうか?
そもそも進学しか選択肢がなかったのだろうか?
就職でもよかったのではないだろうか?
ものづくりで稼ぎたいなら、むしろそっちの方がよかったのかもしれない。

少し前までの私は知らなかった。
できるなら進学するのが当たり前。
そしていつかどこかに就職して給料もらって働くのが当たり前。
挑戦していいのも成功できるのも、選ばれたごく一部の人だけで、私はそうではない。
これらが全然当たり前じゃないことを。

誰にだって好きなことをするのは自由だ。
挑戦するのも自由だ。
何の仕事をするかも、どんな働き方をするかも、どんな暮らし方をするかも、すべて自由だ。
自分の気持ちによってのみ決められるべきだ。
(もちろん他人に迷惑をかけない最低限のルールはあるが)

私には今更ながらに「将来の夢」がある。
それを叶えるために今の自分がいる。
同じように、いつか(できればより多くの可能性があるうちに)子ども達にも自由に「将来の夢」を持ってほしいし、それを叶える努力をしてほしい。
「自分は何が好きなのか?」「自分は何が得意なのか?」「自分は何をしているときに充実感があるのか?」を知ってもらうために、いろいろなことを経験させたいと思う。
そして「なろうと本気で思って努力すれば、なんにでもなれる」と教えようと思う。

まずは私自身が体現することからだな。
さぁ!やるぞ!!