【人生観】こんなにも心の隙間が…

昨日は実家の掃除に時間を費やした。

以前先述したように、私の実家はほぼゴミ屋敷。テレビで見るような明確なゴミがあるわけではないが、とにかく不要物が多いのだ。
着られなくなった洋服や使わなくなった(もしくは買ってからほとんど使ってない)日用品、電化製品、本やCD/DVD、食器類、健康器具などなど。

本当なら業者さんに頼んで済ませてしまいたいところだけれど、そこまでの金銭的な余裕もなく…仕方なく空き時間を見つけて少しずつでも処分していくことにしたのだ。

粗大ごみの回収方法などについては自治体によって違うとは思うが、下関では「燃やせないゴミ」を1枚100円の指定ゴミ袋に10kg以内で詰め、事前に予約することで回収してもらえる。
今回はこの指定ゴミ袋を30枚を持って行った。

まずは1番の難関であるキッチンの作業に取り掛かった。
キッチンには食品類がある。
冷蔵庫の中などの腐敗するようなものは早々に処分していたので幾分ましだったが、それでも乾物や調味料・レトルト食品・缶詰など沢山の食品がある。これらは基本的に中身と容器をバラして廃棄しなくてはならないから大変なのだ。

それ以外にもキッチンには調理家電・調理器具・食器類がある。

ある程度覚悟はしていたが、まぁ〰〰〰あ、あるわあるわ!扉や引き出しを開けた分だけものが出てくること、ドラ●もんのポケットレベル。
何年も使われず埃をかぶっているもの、壊れて使い物にならないもの、お買い得品の買い置きからの忘却のもの、不必要なのに付き合いで購入したりいただいたりしたもの、そこで20年近く生活していた私が1度もお目にかかったことのないようなもの。

ものの多さだけでもかなりなものなのに、それに加えて「なんでこれがここに⁉」や「どうやってここに入れたの⁉」も続発。

とにかく無心を心掛けてゴミ袋に詰めていく。

その昔、独身で実家住まいだった頃に何度も断捨離(当時はこんな言葉はなかったが)を勧めたのだが、そのたびに返ってくるのは「いつか使うかもしれない」「まだ使える」「何かの時に役に立つ」「いいものだから」など、捨てない理由ばかり。
確かにいいもの(高級なもの)もあったかもしれないし、いつか使うかもしれない。

けれどその時点で使ってないうえに何年も使ってなければそれは場所を取るだけの不要物でしかないのに、絶対に認めようとしない。
とはいえ、それはまだマシな方。
明らかに壊れてるものですら捨てないのだ。新しく替わりのものを購入したにも関わらず、だ。「何かの時は修理したら使える」とか…(-_-;)

とにかく物を捨てなかった。
というより、実質的には家の中で廃棄している状態だった。正式にゴミ認定してないだけで。

よく不思議な会話があった。
母:この服もう着ないからあげる
私:私もいらないから、着ないなら捨てたら?
母:いつか着るかもしれないから取っとく
…会話が破綻しとるがな(゚д゚)!
とにかく「捨てる」という行為を拒絶してるかのようだった。

では、大切にするかというとそうでもない。
それが顕著に表れてたのがガーデニング用品と健康器具。

ガーデニング用品は当然屋外で使う。使用すれば土や樹液などつくのだが、それを洗ったり拭いたりすることもせず、物置などに収納することもせずその場に放置。当然、すぐに腐食したり刃物などは切れ味も悪くなる。となると、それをそのままに新しいものを購入するのだ。
念の為に説明すると、母が使っていた道具は決して使い捨てのものではない。
そんなこんなして結果先日の庭の廃棄物の量につながった。

健康器具も然り。
こちらに関してはほぼ使ってすらない状態で家のあちこちに放置。いわゆる、買った時点でやった気になってる状態。メンテナンスなどもしないから、埃をかぶって動きが悪くなってたり、上にいろんな物が乗せられて埋もれていたり。

あと不思議だったのが、他人にあげようとしないこと。
不要になったものを私たち身内には「どう?」と勧めてくるのに、他人には譲ろうとしない。
以前、私が母からもらったものを他の人に譲ったり、お土産のおすそ分けをしたら激怒されたことがある。
自分の手を離れたものがどうなろうが本来なら何も気にする必要ないのに…独占欲的なものなのか?…謎。

そして1番よくないのがものを購入するときの判断基準。
「必要かそうでないか」ではなく「お得かどうか」。
「必要かそうでないか」ではなく「便利かどうか」。
通常よりお買い得なものに出会うと「いつか必要になる(かも)」という理由で、その時点で大して必要としてないものを購入してしまう。
便利そうなものに出会うと、他のもので代用できないか?本当にそれがないと不便があるのか?を考えることもせず、使い道がごくごく限られるようなものを購入してしまう。
その結果、棚や引き出しの奥深くに眠ることになるうえ、時に眠っていることすら忘れられてまた同じものを購入してしまうことも多々…

手放さずに買い続ける

その結果、亡くなった後に残された私からするとただのゴミ屋敷が完成したのだ。

とにかくゴミ袋に詰め続けること数時間。
最初は捨てられていくものたちを見て様々なことを思った。
確かにまだ使えるものもあるし、何なら全然使われてない新品のものもある。そんなものたちを捨てるのにはやはり心が痛む。とはいえ「勿体ない」と思ってしまっては未来永劫片付かない。

心を無にするように心掛けながら作業を進めるうちに、ものの多さの分だけ母の心にさみしさがあったのだと思うように…きっと沢山のものに囲まれることでしか安心できなかったのだと。
とはいえ、沢山のもので満たされたかというとそうではなく、どんどん片付かない家になることで更に理想の自分から遠のき、他人には本当の自分を隠すという負のスパイラルに嵌っていた気がする。

母はいったいどんな人生を送りたかったのだろう…?
理想と現実が異なってるのに、自分で何かしてただろうか?
いつも親のせい、夫のせい、子供たちのせい、会社のせい、社会のせいにしていた気がする。とはいえ、母自身がダメな人間だったわけではなく、ものすごく頑張り屋さんだったのは一番身近で感じていた。
ただ、自分のやりたいことを自分のために頑張ってなかっただけ。
それじゃあいつまでたっても心が満たされるはずもないのに…いらないものを捨てることで身軽に自由に豊かになることより、いらないもので身を固めて動けなくなることを知らず知らずのうちに選択してしまってたんだな。

私もそういう部分が多少なりあったが、今は「自分の人生を生きる」重要性に気づいたし、「自分の人生に起こりうるすべてのことは自分の責任」ということがわかっている。

LDKだけで用意したゴミ袋をほとんど使い果たし、ごみの置き場がなくなったので作業をやめた。
忘れないうちに次回とその次の回収の予約を入れた。
目測では今回の作業分で全体の2割程度…年内に終わらせられたいいんだけど…どこから何がどれだけ出てくるかが未知数なので不安(@_@;)

今日も自己責任で楽しく頑張るぞ!
さぁ!やるぞ!!