【訃報】瀬戸内寂聴さん死去

昨日、瀬戸内寂聴さんが亡くなったとのニュースが飛び込んできた。

ちょうど今、kindle paper whiteで「生とは、死とは」という本を読んでいる途中なのだが、これは瀬戸内寂聴さんとホリエモンこと堀江貴文さんの対談集である。
まだ1/3くらいしか読んでないのだが…

少し気になってネットニュースのコメント欄を見たところ、寂聴さんに対して批判的なコメントが多く見受けられた(そもそもネットのコメントって、誹謗中傷とまではいかないものの、批判的なものであったり、ヘイトなものが多いのだが)。

当然のことながら、実際に会ったりお話をしたことなどはないのだが、私の中には全然悪いイメージはなく、むしろ常に自分に正直に生きてきた人なのだろうと、憧れに近い気持ちもあるくらいだ。

夫や子供を捨てた過去もあり、恋愛もし肉を食べ酒も飲む。
おおよそ一般的に「僧侶」というものに対して持つイメージとは対極のような生き方をしている。
それが批判の対象ともなるし、憧れや親しみやすさにもつながるのだろう。

今読んでいるのが5年前に発行されたものだが、その中に「(今死ぬとしたら諦めはつきますか?との問いに)とっくについてますよ。なんでこんなに長く生きてるか。もう十分生きた!食べあきて飲みあきて。未練ややり残したことはなんにもない」と書いてある。
99歳のお誕生日のInstagramには「99歳まで生きて、長すぎた一生だと思います。様々なことをひとの何倍もしてきました。全てに今は悔いがありません。十分に生きた我が一生でした。死に様は考えません。自然に任せます。」と書いてあった。

一体いつから人生に満足できたのだろうか?と思う。
今、私は人生に満足できているだろうか?と思う。
もちろん90歳過ぎの人と、40半ばの子育て中の私では比べられるものではないのは百の承知だが、少なくとも「あと3か月後に死ぬとして、明日から今日までと同じことをしますか?」と聞かれたとき、「はい」と言える人生でありたいと思う。
(まぁ、子ども達が小さいうちは、どんな形であれ死ぬとなったら2万%悔いはあるんだけどね(-_-;))
晩年まで生きたのち「悔いがない」と言えるように。

もう一つ寂聴さんの言葉として、とあるラジオパーソナリティの方が紹介してて「いいなぁ」と思った言葉が、「人を愛し、人に愛されたということだけが、最後に残ります」。
与えても与えても減らないどころか、増えるのが愛だから、愛するということはいつでもできるということである、と。
だから誰にでも優しく、常に手を差し伸べていたんだなぁと…私も家族を愛し、沢山の人たちを大切に思いやる人になれたら…そして沢山の人を幸せにする人になりたいと思った。

まだまだ目の前のことでいっぱいいっぱいな状態だけど、後悔しない生き方をしていこう。
さぁ!生きよう!

瀬戸内寂聴さん、ご冥福をお祈りいたします。