本当のやさしさとは…③

あくびがなくなった翌日の夕刻、動物霊園にて火葬してもらった。

本当はもう少し一緒にいたいと思ったけれど、話し合った結果、この暑い季節の中あくびの身体がこれ以上傷むのは望まないということになった。
姿を見られなくなることはさみしいけれど、身体を残したところで還ってくるわけもないし…。

家族全員で霊園の火葬場の炉の前で見送り、その後全員でお骨上げをした。
しっぽの先っちょまでしっかり骨が残っていて、病気で亡くなったとは思えないほどだった。

お骨になったあくびを家に連れ帰った。
お墓や納骨堂に納めるのではなく、家族のもとがいいだろうと。
当面リビングにいてもらうことに。
生前は犬アレルギーのえんさんとの接触を避けるため、家では父っちゃさんの寝室でのみ過ごしていたので、念願のリビングデビューだ。

それにしても、いつから体調がよくなかったのだろう?
思い返してみてもそれらしい感じはなかった。
何かしら我慢してたのだろうか?

そもそもとても物静かな子だった。
一緒に暮らしている間には、小型犬によくある無駄吠えをしないどころか、数えるほどしか鳴いたことがない(年イチくらい?)。
少し怖がりで人見知りだったけど、私や父っちゃさんが一緒にいれば不安はなかったようだ。

というのも、諸事情で3か月ほど私の実家に預けたことがあるのだが、その期間だけは誰彼構わず吠えまくっていた。
また一緒に暮らせることになった時、「もしも吠え癖がついてたら嫌だな(-_-;)」と思ってたのだが、まったく余計な心配だった。

新しい住まいになった時も(あくびは3回引っ越ししている)、子ども達が増えた時も、まったく不安な様子は見せなかった。
あくびなりにちゃんと絆を感じていてくれたのだろう。
ちょっとおまぬけなところもあったけれど、「お手」や「おかわり」など何もできなかったのも、私たちがそれを求めてなかったからで、「とにかく私たちと仲良く安心して暮らしてくれればいい」という私たちの気持ちに200%答えてくれていた。

とはいえ、今となって思うのは、もしかして少し無理してたところもあるんじゃないかって…。
新しい環境に慣れるのも、子ども達が増えることで愛情が分散されることも、不安や不満はあったはずなのに、そんなそぶりを全く見せなかったのは、あくびの優しさだったんじゃないかと。

何よりもそう思わせるのが、先日私たちがキャンプに行くことができたこと。

それまで日に日に体調が悪くなってる様子だったのに、キャンプ予定日の数日前から回復傾向を見せたかと思いきや、キャンプから帰った途端急変して息を引き取った。
まるで私たちをキャンプに行かせるために頑張ってくれたようにしか思えない。

本当のところは誰にもわからないけれど、少なくとも私にはそうとしか思えず、ただただあくびの優しさに感謝の気持ちでいっぱいだ。

まだまだあくびがいなくなったさみしさになれるには時間がかかりそうだけど。
ブログの記事が数回に分かれてるのも、書いてる途中に涙が止まらなくてなかなか書き進まなかったり、投稿が遅れるのも誤字脱字などのチェックで読み返してまた涙が出たり…あくびを思い出すたび胸が少し苦しくなる。

その反面、あくびが増えたようなほっこりした気持ちになることもある。
というのも、寝室には(父っちゃさんがきれいにしてくれた)あくびのサークルやベッドなどがあって、いつもの習慣で様子を見に部屋をのぞいてしまうことがあるのだが、まだそこにいるような気持になるのと、リビングにあるお骨&写真を見ると、あくびが私たちと一緒にくつろいでるような感じがするのと。

本当にあくびが家族であってくれて幸せだ(*´▽`*)。