自分がもう2・3人いれば…

「道の駅北浦街道ほうほく」訪問後、いろいろ寄り道をしながら、最後は「道の駅きくがわ」に。
とはいっても、出発当初はこちらに立ち寄る予定はなかったのだけれども…。
(ただ、ここでもガラポンなどのイベントもあって、楽しめたので(*´▽`*)柚子蜂蜜ママレード当たったし。しかも2個)

こちらに立ち寄るきっかけとなったのが…「天美」。

菊川にある酒造「長州酒造」、「天美」の杜氏さんが退職されたということを杜氏さんのインスタで知ったので、気になったので訪問してみることに。
すると、やはりというべきか…(-_-;)。

致し方なく道の駅を訪問することとなった。

杜氏さんのインスタにも、酒造さんのHPにも、この度の情況に至った経緯などは(当然)記されてはおらず。
認知は高まり、味もよくなって、「さぁ!これから!」という感じだったのに…何故(-_-;)?で。

ネットで検索してみると、(真偽のほどは定かではないけれど)この度のことは杜氏さんによるパワハラが原因という…。
取引のある酒屋さんによるSNSに投稿で、「杜氏のパワハラで蔵人が4人退職し、製造できない事態に…という噂」と。

どうなんだろう(-_-;)?

そもそも最近○○ハラが多すぎやしないか(-_-メ)?
と、個人的に思う今日この頃。

私の幼少期などは、悪いことをすればそれ相応の罰が与えられるのは当たり前で、親や先生など大人に怒鳴られたり叩かれたりなんかは日常茶飯事で。
けれどそれはちゃんと信頼関係に基づいていたので、痛いし嫌な気持ちもあれども「自分がよくないことをしてしまった」という自覚につながる、罪に相応する罰であったように思う。

それがいつからか、(弱者などに対しての)罪に対して過剰な罰やそれを与えること(これは絶対にあってはならないこと!)が問題視され。

それを防ぐために、罰(特に体罰)に対して異論を訴える風潮となり。

結果、罪を犯した側が罰に対して過剰に攻め立て防衛を図り、正当な罰を受けることなく、というよりむしろ間違った利を得る(慰謝料など?)をいうことになっているように思う。

決して「弱者保護」を否定するつもりもないけれど、とはいえ、あまりにも「弱者」の意見に偏り過ぎてるように思う。のは私だけ?
基本的に、「○○ハラスメント」全般、受けた側の訴えによるものだし。
もう少し被害を受けた(と主張する)側と与えた(とされる)側それぞれの事実確認をしたうえで、公正に判断されるべきなのに、「被害を与えた側が悪い」というところから話が進んでるような…。

そもそもハラスメントって、「いやがらせ」「いじめ」を指す言葉で、身体的・精神的な攻撃などで、他者に不利益や不快感を与えることで、もちろんあってはならないことなんだけど。
ポイントは「行った側にそのつもりがなくても相手に不快を与える行為はハラスメント」となってしまうこと。

これってどうなの?

例えば、気に入らないおっさん上司に「かわいいね」と言われればセクハラになるけど、ナイスミドル上司に下ネタを言われても「ぃやだぁ〰〰(≧◇≦)♡」と冗談で済んだり。
明らかに注意・叱責されて然るべきミスや怠慢があったにもかかわらず、相手がちょっと強めの言葉を使おうものならパワハラと言ったり。
第三者から見れば、「ハラスメント」っていうほどのものじゃないようなレベルのものもあったり、むしろ「ハラスメントを受けた」という人の方にそもそもの非があったりする場合も。

職場におけるパワハラなんかは特に難しいように思う。
仕事に情熱があり、プレイヤーとして優秀な人が部下(や後輩)を持つとなると…。
怒られ慣れてない世代を相手にミスを注意するときとか?
仕事に対する情熱に温度差がある相手に指示を出すときとか?
つい強めの口調になってしまいそうなところをグッ!と堪えなくてはならなくて。
こちらが強めに出れないをいいことに、相手が横柄な態度をとってきたりたりもするしで。
ストレスは溜まる一方だろう。

そんな時きっとこう思うはず。
「自分がもう2・3人いればいいのに!」

とはいえ、現実にはそんなことは無理な話で。
我慢したり、なんとかかんとか折り合いをつけながらやり過ごしたりするしかなくて。

そんなこんなでストレスが溜まりまくった反動で出た言動を「パワハラ」認定されて、没(-_-;)なんてこともあるんじゃないかな?と思う。

今回の「天美」の件がそうであるということではないけどね。

今の世の中、「私は弱者だ!」と声高らかに宣言できる人が強者であることは間違いなさそうだけど(-_-;)。
本当の弱者は、声を上げることもできない弱者と、弱者ではないものの自分のことでかつかつ精一杯なのに「弱者宣言」する人を助けなくてはならない人だろうな(-_-;)。