2024年、通常営業2日目。
ランチの際にいつも楽しくお話しさせていただいてる方が、「TikTok見てたら、へずまりゅうが…」と。
元迷惑系YouTuberが、「今までたくさんの人に迷惑をかけてきたから」と過去の行いを反省し(?)、能登半島地震に被災者に支援物資を届け、ボランティアを呼びかける動画が流れてきて、それを見て、完全に震災を(売名に)利用してるだけだと腹が立ったらしい。
私もその動画を見せてもらったのだけれど、やはりこの人の過去の行いを鑑みると、震災を利用して目立とうとしているように思えて…。
「人は変われる」ともいうし、「人はそんなに簡単に変われない」ともいうし…過去の行いを鑑みて、変われないタイプの人間ではないかと思うので。
ただ、この人がどんな人物であろうがそんなことはどうでもよくて、今回の動画を見てふたつ、危険だと感じることがあった。
ひとつはボランティアの呼びかけ。
それは「支援物資を持って被災地に来い!」みたいな呼びかけだったのだが、この人の背後にそんなに大きくない車に大した量もない支援物資と思われるものが積まれてるのが映っていた。
こんなのが何十台、何百台、何千台と被災地入りしたとしたら、マジで迷惑でしかない。
そりゃ、ものをもらった人は喜ぶかもしれないけれど、それ以上に被災地にかける負担は大きいし(支援者の人も食料や寝床が必要だから)、(自衛隊や自治体など)プロの活動妨げることにもなりかけない(っていうか、絶対邪魔になる)。
もちろん「困っている人がいれば皆で助ける」というのは間違いではないが、今回のような大規模な災害などにおいての支援の動きとしての正解は、「お金(義援金)を出して、プロに任せる」だと私は思っている。
どう考えたって、個人(しかも素人)の活動で何とか出来るような事態じゃない。
できる事といったら、プロの仕事を邪魔しないことと、プロが十分に物資を届けられるように資金を出すこと。
お金以外の個人の力は、求められてからでいいと思う(現に今現在、石川県は個人からの物資の支援は求めてない)。
危険に思うふたつめは、この動画のコメントが賞賛の嵐だということ。
この動画を教えてくれた方は、この動画に腹が立って「震災を利用して…(-_-メ)」と否定的なコメントを投稿するも、いいね♡が全くつかず…。
むしろコメントのほとんどが賞賛の言葉で、いいね♡がつきまくっている。
直接支援された人が感謝するのはわかるが、そうでない(いわば)傍観者が今回の活動や呼びかけを称賛するのは、被災地の状況や被災者の方々に対する想像力がなさ過ぎて、かなりヤバいと思う。
地震から10日たった今、様々な救助活動や支援活動がされてる中で問題になっているのが、「個人から送られてくる物資の多くが『場所と捨てる手間を取るだけのゴミ』」だということ。
避難所には支援物資が入っている段ボールの山ができているが、その中にはごみにするしかないようなものが沢山。
大量の(破れてたり、シミだらけだったり、しわくちゃだったり)おおよそ着れないような古着だったり、賞味期限切れの食品や、(冷蔵庫なんかあるはずもない避難所に)要冷蔵の食品など。
大変な時だから、「食べられればなんでもいいだろう」「身体が冷えないならなんでも着るだろう」とでも思ってるのかもしれないけれど…被災者は物乞いではない!
辛い時だからこそ思いやりのあるあたたかい支援が必要で、医療も飽和で良くない衛生状態だからこそ安心安全な物資が必要なのに、自分が着ない・食べないものを送り付けるなんて…悪意がないとしたら、想像力の欠如としか言いようがない。
届いた支援物資を被災者に供給するために、個人からの支援物資が多いと、その仕分け・保管・管理などにかなりの人員を投入しなくてはならなくし、人員不足で仕分け・保管・管理が十分にできずに廃棄される物資も少なくないだろう(本来なら被災者の助けになる物資が、想像力のない人や悪意のある人が送り付けてきたごみに紛れて捨てられることも)。
なので私は、被災者への物資の供給は国のプッシュ型のみにして、個人レベルでは義援金というのが一番効率的だと思っている。
お金だけだと味気ない感じがするし、達成感が少ないかもしれないけれど…。
そう考えると、今回の元迷惑系YouTuberみたいな動きをする人って、「自分がやってます!」ってアピールして、直接感謝されたり達成感を味わいたいだけで、結局は自分のことしか考えてないんだろうなぁ~…(-_-メ)。
それでもまぁ、集めた募金をそのまま自分の懐に入れたり、避難所の自販機をチェーンソーで壊して、中の商品やお金を盗んだりする人に比べたらマシと考えるべきか…?
あ、全然関係ないけど、今日、とても素敵な出会いがあった感じがするので、それはまた後日( ̄ー ̄)ニヤリ。